Friday, April 22, 2016

もしあの鉄道車両が実用化されていたら(国鉄その5): 電車(急行・近郊用交流・交直流車)


165系・457系

  • 急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
  1. 70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
    • その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
  2. 従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
    • 急行形電車の3ドア化及び洗面所・デッキ撤去はドアにステップのない直流車のみが対象で、ステップ付きの交直流車は施工されず。
    • 413系電車475系改造車が登場していた。
  3. よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
  4. 「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
  5. いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
  6. よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
  7. ときわはひたちに統合されず、新特急ときわになっていた。他の新特急も、185系ではなく457系が使用されていた。
    • よって、185系電車は登場することがなかった。
  8. 457系は、JR東日本・JR西日本・JR九州のほかに、JR北海道とJR東海にも承継されていた。
  9. JR北海道所属車は快速「海峡」を中心に運用されていたが、789系の増備に伴い2011年3月に運用を終了した。
  10. JR東海所属車はキハ40系気動車とともに2016年3月をもって運用を終了し、後継にはJR北海道から721系・785系・789系の一部が交直両用・50/60Hz両対応化改造の上JR東海に有償譲渡される。
  11. JR西日本所属車はN40改造を受けていた。
  12. JR東海373系の製造が、「ふじかわ」の置き換え分で打ち切られていた。
    • よって、「ムーンライトながら」が、165系の全廃後も457系によって運行されていた。
  13. 457系の形式・新製時期による形態の違いや改造による形態変化、アコモ改造の内容などが史実よりさらにヴァラエティに富んだものになっていた。

413系電車475系改造車

413系電車は475系電車からの改造計画もありましたが、実現しませんでした。もし、413系電車が475系電車までも改造されていたら?
  1. 471系・475系の延命工事はなかった。
  2. 521系は419系の置き換え分で製造が打ち切られていた。
  3. 若い車体を活用して機器更新がされていた。
  4. 413系200番台になっていた。

415系1700番台

史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。
  1. ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
    • サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
  2. 恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
  3. JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
    • JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。

417系

史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。
  1. 50系客車の製造数が減っていた。
  2. 急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
  3. 713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
    • 田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
    • 715系0番台の登場は史実通り。
  4. JR西日本所属車はN40改造されていた。
  5. JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
  6. 金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
  7. 117系は登場せず、153系新快速の置き換えは417系(および上述の457系)で行われていた。

455系・457系海峡用

  • 国鉄末期に、455・457系を津軽海峡線の快速「海峡」に転用する計画もありましたが、実現しませんでした。もし実現していたら。
  1. 455系・457系にJR北海道承継車が登場していた。
  2. 2011年3月で運用を終了し、789系に置き換えられた。
  3. 「海峡」への転用時にシートをリクライニングシートに交換された。
  4. 仙台・金沢・亀山地区に50系客車が残存。
    • よって、50系客車をJR東海も承継した。
  5. 金沢・亀山地区の50系客車は、エンジン直結・床下搭載で冷房化された。
  6. 九州地区の475系・457系は全車両が金沢地区に転属した。
    • 九州地区には、キハ54形550番台気動車が投入されていた。

713系量産車

史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?
  1. 当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
  2. 715系・717系は登場しなかった。
    • 715系0番台の登場は史実通り。
  3. 東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
  4. 鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。

715系増備車

  • 715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
  1. 419系は製作されなかった。
  2. 長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
    • 場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
  3. 417系は、金沢地区に転属になっていた。
    • その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
      • よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
  4. 急行きたぐには客車のままだった。
  5. 12系2000番台は登場しなかった。
  6. 寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
    • 銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。

北海道用急行形電車及び新系列交直流急行形電車

  • 12系客車及びキハ65形気動車に相当する接客設備を持つ急行形電車は、史実では登場しませんでしたが、もし登場していれば。
  1. 1両当たりの長さが21.3mになっていた。
  2. 北海道の鉄道電化がもっと進んでいた。
  3. 北海道用急行形電車はサイリスタ位相制御、新系列交直流急行形電車はCS43系主制御器で、歯数比はいずれも1:4.21となっていた。
  4. 165系の3ドア化及び洗面所・デッキ撤去が進められていた。
  5. 185系は登場しなかった。
  6. 特急型を除き、北海道初の新製冷房車となっていた。

12系・14系客車改造交流電車

  • 国鉄時代、12系客車・14系客車(14系500番台を除く)及びキハ65形気動車をサイリスタ位相制御方式の交流電車に改造し、さらにキロ28形2500番台気動車・キロ26形200番台気動車と485・489・583系電車の一部を改造編入する計画もありましたが、実現しませんでした。もし実現していたら。
  1. 715系1000番台及び419系は登場しなかった。
  2. 12系1000番台及び12系2000番台は登場しなかった。
  3. 12系客車・14系客車及びキハ65形気動車からの改造は14系500番台に準じた仕様になっていた。
  4. 足回りは781系に準じたものになっていた。ただし電動車への改造は冷房装置の集中式への交換及びパンタグラフの取り付けを併せて施工していた。
  5. 函館本線及び宗谷本線が全線電化されていた。
  6. キハ283系気動車は登場せず、キハ281系気動車はキハ261系気動車の登場時にJR東海に譲渡された。

もしあの鉄道車両が実用化されていたら(国鉄その4): 電車(急行・近郊用直流車)

サロ115形

115系のグリーン車(1等車)として全自動ドア装備で検討された。
東北・高崎線用新製車
  1. 普通車より一足早く冷房化された。
  2. 15両化も早まっていた。
  3. サロ165-14がスカ色にならなかった。
  4. 1973年の暴動がもっと大規模になっていた。
    • だが事件後に急行型使用の普通列車グリーン車が自由開放されることはなかった。
  5. 211系1000・3000番台も最初からサロを組み込んで登場したため、サハ211の製造両数は少なかった。
宇野線用改造車
四国連絡快速用にサロ113を改造しての投入が計画された。
  1. 首都圏で113系グリーン車が不足し、特急・急行型からのサロ110への編入改造が史実より多く行われた。
  2. 備讃ライナー→マリンライナーにもグリーン車がついている。

123系クモユ143形改造車

郵便輸送廃止で余剰となったクモユ143形を国鉄所有にして123系への改造も考えられていたが、実現しなかった。
  1. 旧型国電は国鉄時代に全廃することが出来ていた。
    • しかし、車両不足からクモハ84形の登場は史実通りになるだろう。
  2. 小野田線本山支線や鶴見線大川支線に投入されていた。
  3. 冷房装置は郵便車時代のものを再利用していた。

153系寝台電車

夜行寝台急行列車の電車化が計画され、本系列を寝台車電車に改造・投入するものであった。
  1. 急行銀河の廃止が数年伸びていた。
  2. 急行きたぐに(大阪ー青森)の車両にも使われていたかもしれない。
    • 153系は直流専用だから無理があるのでは?
      • 451~475系ベースの交直両用版が開発される。
        • むしろ交直両用車は流石にも史実通り。
  3. 581系は誕生しなかった。
    • むしろ流石にも史実通り。
  4. 国鉄末期に通勤格下げ車両が出現していたりして。
  5. 「ちくま」が客車に戻されることはなかった。

163系電車

付随車のみ存在したが、当初は153系の出力アップ型として165系と同時期に暖地向けに導入が検討されていたようだ。(ただし抑速ブレーキはなし。)もしこれが実用化されていたら…、
  1. 結局、新幹線の延伸や特急運転区間の拡大で余剰となり、113系増備のための種車となってしまう。
    • 113系1500番台や2000番台はこの車両のハコ替えだった。
  2. あるいは大阪地区の新快速は153系が撤退した後、この車両を部分改造して充当される。
  3. いずれは車種統一のため抑速ブレーキ取り付け改造を行い165系に編入された。
    • 1975年の山陽新幹線博多開業時に改造され、165系200番台となる。また、捻出したCS12系制御器はその頃増備された113系新製冷房車に転用。
    • 平坦地向けなので、東京~下田・修繕寺および房総急行に使用されていた.
    • 捻出した153系は、3ドア化・デッキ撤去のうえ、静岡・名古屋地区の普通電車に転用。
    • 抑速付けられるのなら瀬野八も越えられるな!→「安芸」他に導入。

185系電車近郊形化改造車

  • 1985年3月ダイヤ改正時に、踊り子と新特急を185系ではなく交直流急行形電車に置き換える計画もありましたが、実現しませんでした。もし実現していたら。
  1. 黒磯以北直通の新特急も登場していた。
  2. 仙台地区に50系客車が残存していた。
  3. 九州地区から475・457系が撤退し、他地区に転属していた。
    • 九州地区にはキハ54形気動車が投入されていた。
  4. 185系は、出入り口付近の座席をロングシート化改造されていた。
  5. 213系0番台車の製造両数が減っていた。

211系0番台・1000番台

  • 初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?
  1. 私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
    • そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
      • 従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
    • しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
  2. 後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
  3. 415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。

211系・213系電車総武快速・横須賀線用

国鉄時代、総武快速・横須賀線にも211系・213系電車を投入する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
  1. 基本11両編成、付属4両編成になっていた。
  2. 111系は国鉄時代に形式消滅していた。
    • 四国には史実より早く113系が配置されていた。
  3. 動労千葉の勢力は弱くなっていた。
    • 弱くなるというか、元々弱いからこうなったわけで。
  4. E217系は製作されなかった。
    • 今頃、E231系かE233系に置き換えられ、房総各線に転用されている。
      • 東海道線と同時期にE233に置き換えが一番ありそう。
      • わざわざスカ色から変える必要性がないので菜の花色は存在しない可能性も。
      • 209系は北関東か長野送り。
  5. 213系は2ドア転換クロスシートというより1M方式という認識となっていた。
    • JR東海の211系6000番台は213系6000番台として登場していた。

211系0番台中京地区用増備車・211系1000番台関西地区用

  • 史実では中京地区に211系0番台4両編成2本の製作にとどまりましたが、もし中京地区と京阪神地区の117系を全て置き換えるまで製作されていたら。
  1. 中京地区には0番台車4両編成20本、関西地区には1000番台車4両編成24本まで製作できた。
  2. 2扉転換式クロスシートから3扉ボックス式セミクロスシートに変更されることによる混雑緩和と6両編成から4両編成に減車されることによる経費節減が図られた。
  3. 117系100・200番台は登場しなかった。
  4. 117系は長野地区と岡山地区に転属していた。

4扉近郊電車

1960年代に101系と同等の車体でオールクロスの車両が計画されていた。
  1. 首都圏の混雑が緩和されていた。
    • しかし上尾事件は史実どおり起こった。
  2. 近郊形・通勤形車両の区分が曖昧化し、その後の形式は一般形と称するようになっていた。
  3. 実史の近鉄2610系がそうだったように、クロスシートのシートピッチが狭すぎたため後年オールロングシートに改造されていた。

三扉簡易寝台電車

  • 平日は横須賀線の通勤用、休日は中央線登山客の仮眠用として使用される予定だったが、実用性に乏しいので却下された。
  1. 上記内容を見るに塗装はスカ色で間違いないだろう。
  2. いずれ簡易寝台が邪魔になり、115系に編入改造される。
  3. 中央東線・篠ノ井線の夜行普通列車はこの車両で電車化された。

仮称105系電車

京阪神緩行線への投入が考えられていた駅間距離の長い線区向けの4扉通勤形電車。史実の105系とは異なる。もしこの車両が登場していたら…。
  1. 103系は現実ほど製造両数が多くならなかった。
  2. 101系のMT54搭載版という位置づけになっていた。
    • 歯車比は1:5.60で、419系や715系と同じ走行音を立てていた。
    • 付随車の形式は101系と共用するが、前面形状が103系と同時に変更される。
  3. 史実の105系は「107系」になっていた。
    • こちらもMT54を搭載していた。
      • 119系も。
    • 史実の107系は「109系」
  4. 常磐快速線にもこの車両が投入される。
    • 中央快速線にも特別快速用としてこの車両が投入されていた。中央快速線向けは高尾以西への直通を考慮してパンタグラフ部分が低屋根(若しくはPS24形パンタ搭載)とされ、モハ104形800番台が製造されていた(?).
      • 201系の初導入先は中央総武緩行線だった。
  5. 東武8000系は「私鉄の103系」ではなく「私鉄の105系」と呼ばれていた。因みに性能面では東武8000系は103系よりもむしろ仮称105系に近い。

105系(汎用電車)

ロングシート・クロスシートの両方に転換可能なタイプの座席で計画されていたという。
  1. ホリデー快速によく使用されていた。
  2. 首都圏中電のオールロング化が遅れていた。
  3. 民営化後、ホームライナーに使用されるが、苦情が来たため数年で中止。
  4. 近鉄L/Cカーは現実よりも早く登場していた。
    • 5200系は登場しなかったかもしれない。その場合JR西日本221系などにも影響を与えていた。
  5. 首都圏の大手私鉄にも類似の車両が投入されていたかもしれない。
    • その場合、首都圏でも平日昼間や休日は運賃だけでクロスシートに乗れるようになっていた。その結果国鉄→JRとの競争が有利になりJRのグリーン料金も安くなっていたかもしれない。
    • 京急2000形はこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。2100形は登場せず、二代目600形がこのタイプの座席で登場し増備されていた。
    • 東武6050系や西武4000系もこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。

Sunday, April 17, 2016

もしあの鉄道車両が実用化されていたら(国鉄その3)電車(在来線特急用)

187系電車

碓氷峠(横川-軽井沢間)を補機なしで自走できる特急形電車が計画されていましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
  1. 量産車は新車として導入された。
    • 試作車だけ他車と異なるので阪神8000系第1編成のように珍車扱いされ、注目されていた。
  2. 187系をベースにした一般形電車も製作された。
    • 107系に似た車両になっていた。
      • 165系ベースでしょう。
  3. EF63形は史実より早く余剰廃車になっていた。
  4. 横川-軽井沢間が廃止されることはなかった。
  5. サロ183形がサロ110形300番代に改造されることはなかった。
    • サロ110形0番代が分割民営化後も多く生き残っていた。
      • 153系の生き残りとして注目されていた。
  6. 北陸新幹線開業後は「あずさ」に転用されていた。
    • E257系は製作されなかった。
    • 房総特急で活躍しているかも。
    • 忠実通り製造された場合、新型NEXと似た感じの車両になり、E257と259の形式があべこべになる。
      • 妙高、ムーンライト信州は187系で運行。
        • 日光、きぬがわは187系が種車だった可能性も。
      • 183系のように波動用で活躍。
      • むしろキハ183系500番台に似た車両になっていた。
  7. 勢い余って487系もできる。
    • ただし、国鉄がそこまで赤字でなかった場合。
    • 「白山」に投入されていた。
      • 「白山」廃止後は「能登」に転用。
        • 「能登」は上越線経由にならなかった。
    • むしろ781系ベースでしょう。
  8. 189系は電化されたばかりの北近畿地区に転用されていた。
    • 183系485系改造車はなかった。
      • 七尾線電化後も普通列車は気動車のままだった。
        • 七尾線には521系が新製投入されていた。
  9. 平坦区間でも電気を無駄食いするため、「扱いにくい」車両になっていた。
    • このため他に転用する際一部車両が電装解除されていた。
    • 結局EF200の二の舞になり、早期淘汰の対象に。
      • EF63の余剰廃車が早かっただけでは?

福知山・山陰本線用381系

福知山・山陰本線の特急「北近畿(現・こうのとり)」には381系新造車を投入する計画がありましたが結局は他から485系が転用されました。
  1. 381系は国鉄分割民営化直前の1980年代中盤まで製造されていた。
  2. 振り子式車両なので「北近畿」の所要時間は短縮されていた。
  3. それでも山陰本線京都口電化開業時の「はしだて」「きのさき」「たんば」用には北陸本線から485系が転用されていた。
  4. 287系が初めて投入されたのは紀勢本線の「くろしお」だった。
    • 現実と異なり振り子式になっていたかも。
  5. 福知山線用の増備車の座席は簡易リクライニングシートではなく、100系新幹線などと同様の背面テーブル付き新型リクライニングシートとなっていた。
  6. 七尾線電化後も普通列車は気動車のままだった。
    • 七尾線には521系が新製投入されていた。

583系電車

  • 583系は1973年をもって製造が打ち切られましたが、もう少し増備が続けられていたら。
  1. 日本海やあけぼのが電車化されていた。
  2. 1976年以降の増備車では、ドアが引き戸に変更された。
  3. 185系は登場しなかった。
  4. 初期製造車の419系や715系への改造が史実以上に多い。

交直流対応振子式特急車両

591系として開発が進んでましたが、投入予定路線である東北本線に平行して東北新幹線を建設することが決まったため各地を転々とし、結局は381系として製造されました。
  1. 東北新幹線が開業する前までは「ひばり」に先行投入されていた。
    • その後北陸や九州に転用。
  2. 485系の量産数が減っていた。
    • 485系は急行に使用されることのほうが多くなっていた。
  3. 585系になっていた。
  4. 東北新幹線は史実通りに開通していたが、請願駅が東北新幹線に設置されることはなかった。
  5. 直流の381系の登場は史実通り。
  6. 185系は登場しなかった。
  7. 食堂車連結の振り子列車がもてはやされていた。
  8. 電車では初めて1両当たりの長さが21.3mになっていた。

Wednesday, March 23, 2016

もしあの鉄道車両が実用化されていたら(国鉄その2):電車(新幹線)

個室ひかり

夜行新幹線用として企画されたが、実現しなかった。
  1. 961形をベースに登場。
    • もしかしたらこっちが「100系」を名乗っていたか。
  2. いずれにしても国鉄分割民営化後、のぞみ登場と同時に消滅。
  3. 東北・上越新幹線にも同等の設備を有する車両が投入された。
    • 「スーパーやまびこ」中心の運用に使われる。
  4. 最後はこだま用として山陽新幹線で生涯を終えていた。
    • もしくは「ウエストひかり」を中心に運行していたかもしれない。

200系新幹線寝台電車・100系新幹線寝台電車

200系新幹線及び100系新幹線には、寝台車も計画されていましたが、実現しませんでした。もし実現していたら。
  1. ハイフン以下の車両番号がインフレナンバーになっていた。
  2. 東海道新幹線の公害訴訟が史実以上に大規模になっていた。
  3. 勢い余って東北新幹線の東京駅までの建設と東海道新幹線と東北新幹線との直通運転、北海道内の在来線の標準軌への改軌と車両限界拡張と低床ホーム化と25kVへの昇圧、既設新幹線ホームの低床ホーム化と駅構内の着発線の有効長延伸、新幹線車両の客用ドアへのステップの取り付け、貨物専用の標準軌新線建設、青函トンネルも最初から標準軌で建設し史実より早い北海道新幹線開業などがガンガン行われる。
  4. グランクラスもこの時期に登場。グランクラスと食堂車の両方連結の列車も。

Friday, March 18, 2016

もしあの鉄道車両が実用化されていたら(国鉄その1)機関車

AH100形原子力機関車

原子力の技術的可能性を検討するため、調査目的として計画案として練られた車両。
  1. あくまでも調査目的なので1両のみ製造されていた。
  2. EH10を超える巨体であるため「マンモス」の愛称はこちらについていた。
  3. 仮に実用化された場合、日本の原子力発電はそれほど発展しなかったかもしれない。
  4. 少なくとも旅客運用にはついていない。

C63形蒸気機関車

設計図こそ完成したものの、製造には至らなかった。
  1. 国鉄最後の蒸気機関車となっていた。
  2. 1両は梅小路蒸気機関車館に保存されていた。
  3. 最後の地はやはり北海道か?
  4. 国鉄からSLが消える時期はおそらく史実と変わらなかった。
    • むしろ2~3年ほどずれて1978年10月改正の頃になっていた。
  5. 「やまぐち号」に使用されていた可能性もある。
  6. マイクロエースではなくKATOが模型化していた。

DE50形

非電化幹線の貨物牽引用として1両のみ製造されました。
  1. DD51形の製作は打ち止めになっていた。
    • DD51形は史実より大部分が廃車になり、JRに継承された車両としては少数派となっていた。
  2. JR発足後はJR貨物に継承されていた。

EB90形(AB90形)

ED71形を入換用蓄電池式機関車に改造する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
  1. 環境に優しい車両として注目されていた。
  2. 量産車は新車として製作された。
    • AB11形になっていたかも。
  3. DE10形の製作は打ち止めになっていた。
    • 国鉄分割民営化後はDE10は旅客会社にしか引き継がれなかった。
    • JR貨物へは本形式が引き継がれていた。
  4. 入換用機関車は蓄電池式機関車が主体になっていた。
    • ハイブリッド? 何それ?
      • HD300形は製作されなかった。

EF70形直流化改造車

1980年代初期、北陸本線へのEF81形進出により余剰化したEF70形を直流機に改造し、EF58形の代替車として東海道・山陽本線に投入する計画があったそうです。
  1. 交流専用のタップ制御は廃止され、基本的な制御装置は全てEF65形から流用される。
    • 最高出力も2550kWに揃えられる。
  2. 当時の国鉄の事情では、新形式の「EF68形」を名乗るのは困難だったかもしれない。
    • 結果、EF65形のジャンプナンバー(1500番代?)となる。
      • しかしカラーの塗り分けは0番代と共通。
    • EF70の1000番台車についてはEF65の550番台となり、塗り分けも500番台・1000番台と同じになる。
  3. JR発足時には全機JR西日本に引き継がれていた。
    • 史実のEF62形の代わりだが、民営化前に全機廃車の憂き目には遭わなかったかもしれない。
    • 但し、2011年現在まで稼動していたかどうかは不明。

EH50形電気機関車

昼行客車特急の高速化を目的に導入が検討されていたが、151系(登場時は20系)電車の登場により幻になったようだ。もし、151系に先んじてこの車両が誕生していたら…
  1. 151系登場後は夜行列車の牽引に回されていた。
    • 今でもブルートレインを下関まで牽引している。
      • 1978年に史実通りEF65PFに置き換えられ、その後は荷物列車牽引で余生を送ったのち1986年に廃車。
  2. EF65はF機のみでP機は存在しなかった。
    • EF60の500番台も当然存在しなかった。
  3. その後の電気機関車史は違ったものになっている。
    • EF66やEF81は下手すると登場しなかったかもしれない・・。
    • EH50の交流版や交直流版が開発されることに・・。
  4. EH50にはクイル駆動方式が導入されていた可能性もあるので、もしEH50でクイル式が成功していたら、その後の国鉄電気機関車の駆動方式はクイル式が定番となる。
  5. 山陽新幹線全通後に一部がEH10に改造される。

標準軌用交流電気機関車・標準軌用ディーゼル機関車

  • 青函トンネル建設時に青函トンネルを当初から標準軌での開業にする計画でしたが、結局は民営化直後に狭軌で開業しました。
  1. 北海道内の在来線は標準軌に改軌され、併せて車両限界拡張と低床ホーム化と25kV昇圧も行われていた。
  2. 名寄と音威子府と稚内と釧路と根室などに貨物ターミナルが整備されていた。
  3. 731・735系電車とキハ281・283系気動車は登場しなかった。
  4. 現実には日本で存在したことがない「非電化の標準軌路線」が存在することになっていた。
  5. 本州の在来線が狭軌のままなので、青函トンネルが本州~北海道間の貨物の大動脈になることはなく、さらに利用実績が低迷していた。
    • 「無用の長物」と揶揄されていた。
    • 津軽線は三線軌条化され、蟹田と油川には貨物の積み替え基地が建設され(それぞれ青森第一貨物ターミナルと青森第二貨物ターミナル)、そこで標準軌と狭軌の貨物の積み替えを行っていた。なので青函トンネルの青森側で貨物列車の運転系統が分断されていたことになる。
    • 後に貨物専用の標準軌新線が建設される。
  6. 東北新幹線の新青森延伸と北海道新幹線の開通が現実よりも早まった。
    • 新青森延伸は早ければ1988年の青函トンネル開業と同時、遅くとも1990年代のうちに開業していた。北海道新幹線も20世紀中に開通。
      • 北海道新幹線開業後新在直通方式で東京~札幌間の直通が実現していた。
        • 少なくとも札幌までは北海道新幹線開通と同時に全線電化されていた。
        • しかもフル規格車両による新在直通。