Friday, March 18, 2016

もしあの鉄道車両が実用化されていたら(国鉄その1)機関車

AH100形原子力機関車

原子力の技術的可能性を検討するため、調査目的として計画案として練られた車両。
  1. あくまでも調査目的なので1両のみ製造されていた。
  2. EH10を超える巨体であるため「マンモス」の愛称はこちらについていた。
  3. 仮に実用化された場合、日本の原子力発電はそれほど発展しなかったかもしれない。
  4. 少なくとも旅客運用にはついていない。

C63形蒸気機関車

設計図こそ完成したものの、製造には至らなかった。
  1. 国鉄最後の蒸気機関車となっていた。
  2. 1両は梅小路蒸気機関車館に保存されていた。
  3. 最後の地はやはり北海道か?
  4. 国鉄からSLが消える時期はおそらく史実と変わらなかった。
    • むしろ2~3年ほどずれて1978年10月改正の頃になっていた。
  5. 「やまぐち号」に使用されていた可能性もある。
  6. マイクロエースではなくKATOが模型化していた。

DE50形

非電化幹線の貨物牽引用として1両のみ製造されました。
  1. DD51形の製作は打ち止めになっていた。
    • DD51形は史実より大部分が廃車になり、JRに継承された車両としては少数派となっていた。
  2. JR発足後はJR貨物に継承されていた。

EB90形(AB90形)

ED71形を入換用蓄電池式機関車に改造する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
  1. 環境に優しい車両として注目されていた。
  2. 量産車は新車として製作された。
    • AB11形になっていたかも。
  3. DE10形の製作は打ち止めになっていた。
    • 国鉄分割民営化後はDE10は旅客会社にしか引き継がれなかった。
    • JR貨物へは本形式が引き継がれていた。
  4. 入換用機関車は蓄電池式機関車が主体になっていた。
    • ハイブリッド? 何それ?
      • HD300形は製作されなかった。

EF70形直流化改造車

1980年代初期、北陸本線へのEF81形進出により余剰化したEF70形を直流機に改造し、EF58形の代替車として東海道・山陽本線に投入する計画があったそうです。
  1. 交流専用のタップ制御は廃止され、基本的な制御装置は全てEF65形から流用される。
    • 最高出力も2550kWに揃えられる。
  2. 当時の国鉄の事情では、新形式の「EF68形」を名乗るのは困難だったかもしれない。
    • 結果、EF65形のジャンプナンバー(1500番代?)となる。
      • しかしカラーの塗り分けは0番代と共通。
    • EF70の1000番台車についてはEF65の550番台となり、塗り分けも500番台・1000番台と同じになる。
  3. JR発足時には全機JR西日本に引き継がれていた。
    • 史実のEF62形の代わりだが、民営化前に全機廃車の憂き目には遭わなかったかもしれない。
    • 但し、2011年現在まで稼動していたかどうかは不明。

EH50形電気機関車

昼行客車特急の高速化を目的に導入が検討されていたが、151系(登場時は20系)電車の登場により幻になったようだ。もし、151系に先んじてこの車両が誕生していたら…
  1. 151系登場後は夜行列車の牽引に回されていた。
    • 今でもブルートレインを下関まで牽引している。
      • 1978年に史実通りEF65PFに置き換えられ、その後は荷物列車牽引で余生を送ったのち1986年に廃車。
  2. EF65はF機のみでP機は存在しなかった。
    • EF60の500番台も当然存在しなかった。
  3. その後の電気機関車史は違ったものになっている。
    • EF66やEF81は下手すると登場しなかったかもしれない・・。
    • EH50の交流版や交直流版が開発されることに・・。
  4. EH50にはクイル駆動方式が導入されていた可能性もあるので、もしEH50でクイル式が成功していたら、その後の国鉄電気機関車の駆動方式はクイル式が定番となる。
  5. 山陽新幹線全通後に一部がEH10に改造される。

標準軌用交流電気機関車・標準軌用ディーゼル機関車

  • 青函トンネル建設時に青函トンネルを当初から標準軌での開業にする計画でしたが、結局は民営化直後に狭軌で開業しました。
  1. 北海道内の在来線は標準軌に改軌され、併せて車両限界拡張と低床ホーム化と25kV昇圧も行われていた。
  2. 名寄と音威子府と稚内と釧路と根室などに貨物ターミナルが整備されていた。
  3. 731・735系電車とキハ281・283系気動車は登場しなかった。
  4. 現実には日本で存在したことがない「非電化の標準軌路線」が存在することになっていた。
  5. 本州の在来線が狭軌のままなので、青函トンネルが本州~北海道間の貨物の大動脈になることはなく、さらに利用実績が低迷していた。
    • 「無用の長物」と揶揄されていた。
    • 津軽線は三線軌条化され、蟹田と油川には貨物の積み替え基地が建設され(それぞれ青森第一貨物ターミナルと青森第二貨物ターミナル)、そこで標準軌と狭軌の貨物の積み替えを行っていた。なので青函トンネルの青森側で貨物列車の運転系統が分断されていたことになる。
    • 後に貨物専用の標準軌新線が建設される。
  6. 東北新幹線の新青森延伸と北海道新幹線の開通が現実よりも早まった。
    • 新青森延伸は早ければ1988年の青函トンネル開業と同時、遅くとも1990年代のうちに開業していた。北海道新幹線も20世紀中に開通。
      • 北海道新幹線開業後新在直通方式で東京~札幌間の直通が実現していた。
        • 少なくとも札幌までは北海道新幹線開通と同時に全線電化されていた。
        • しかもフル規格車両による新在直通。

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